Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

世界、その地理と歴史

 戦争ではなく、事態は傾いているんだ、と、気づく。気づくのが遅いと憤られる方には申し訳ないが、そう思っただけ、自分としてはまましだった。
 歴史と地理の参考書を買った。なんやかんやあっても、高校生の参考書というものは頼りになる。くぢらくんにどの教科書が良いか教えて貰った。私は高校生当時、理系科目を解くことに打ち込んで、というより社会科の先生が社会的に問題のあるひとだったので、倫理などの資料は貰った途端にごみ箱に捨てて、耳にイヤフォンを突っ込んで頭から上着を被って卓に伏していた。学生も社会的に問題がある。
 それでなくても私は、社会科が苦手である。暗記が嫌いだった。今は高校生ではないので、暗記する必要は無く、教科書類というものはその情報量にしては異様に安い(教育だからなんだと思うけど)ので、今日、発注してきた。

 

 かつてユダヤ人は迫害された。
 ガザはイスラエルの軍に迫害されている。
 戦争というより、民を選んで地域で殺す、という体制。大量虐殺。が、目下、目にすら場所にある。という屈辱。(と云っても戦地のひとの屈辱の0.1%にも満たないわけだが)ぼうっとしていると、何も書かないと、何も思っていないかのようにこの世界への態度を取ってしまう、それはやっぱり屈辱でしかない。以前の日本のテンションでいくと、こういうことを文章にしたためることすら死の宣告だった。私は命が安穏で、だからそれがとてつもなく恥ずかしい。誰ひとり助けられないことは屈辱だ。
ノンポリじゃないけど、noteやtwitterには書かない主義」のひとは、インターネットじゃない社会で確信的に闘えるのかな、知らないけど。何処にでも、空気を読めないひとのレッテルを貼られるくらいなら、発言しないひともいて、でも空気って何?

 なんか、TVではあまり報道してない? のかな。TV観なくて。
 それでも「年老いた両親が2ちゃんねるのまとめYouTubeばかり見ている」という話もつらいし、もう本当につらいし、本当に私が私であったならさくっと死んでいたと思うがこんな場所は去りたいのだが、しかし今いる私は私なのだった。そんで、死んでいない。


「しんどくなるひともいるから、無理してネット上の動画を見ないで良いんですよ」と説く日本人のtwitterアカウント(学者業だそうですよ)。本当に〝しんどい〟のは、苦しんでいるのは、あっちだ、そっちにいるひとたちだ、映像に映る燃やされた街の燃やされるひとたちだ。なんで「見なくてもいい」なんて云えるんだろうと思った。『火垂るの墓』を〝鬱映画〟と云って良いのか、はだしのゲンを、トラウマだと思うその他所ごとっぷりで、今、そのひとはイスラエルの爆撃を見ているのかな、それは、おかしいでしょう。


(それから、「日共組の思想の所為で毎年『火垂るの墓』を見せられたけれど、『この世界の片隅で』でちょっと昇華した」人たちのトゥギャッタ。もう良いよ、日本人から降りたい。とは云えど、私は「日共組」の関わりのない小学校に通っていたので、つまりミッションスクールの小学校にいて、そういうのもあいつらには迫害の対象になるわけですよねどうでも良いけどね)

 少なくとも私はそういうのが嫌で、楽しいことも過ごしながらも、苦しいひとがくるしいことを〝つらくなっちゃうから〟目を瞑るのは嫌だ。うちの家系は血の出る話をしてもそこそこ平気過ぎる家系なのだと思いながらも、twitterに載った映像を観ている。最初の方は、SNS時代、すぐにスマートフォンに撮って上げるひとが増えたのだという言説かと思っていた。
 でもたぶんそうではない。
 伝えないと、誰も助けられないからだ。
 もしも「しんどくなる」なら、あなたは「しんどくならなくても済む場所に住む」対価をきちんと帳尻合わせているのか、尋ねてみたい。
 私は今、私が色々なことに怒ることにすら罪悪感がある。それは、自分の地位を、他人の命よりうえに持ってこようとしているからなのではないかと感じる。
 尊厳というもののことを、本当に本当の意味で考えたい。

 15年前、西成のココルームで酔っ払ったおじさんたちと、私は今でも喧嘩、出来るだろうか?「日本も軍を持つべきやろが!」「外国が攻められてきたらどうするんや!」「あなたがたはひとを殺したいのか!」
 別に15年前の私もまったく駄目な人間であったことは確かであり、最近のココルームは違う感じの場所だという風の噂も聞きますが。あの喧嘩のあと、宥めてくれた上田假奈代さんからお蜜柑を貰って、娘希さんと半分こで食べた。単なる夜の呑み屋を、気分悪くさせた存在だったのかな。
 
 私は本当のところ、すっかり弱くなってしまった。あんたそんなに怒鳴るならさっさと私を殴り倒して、そんでもっていつかは逮捕されてくれ、くらいの気持ちで、からだはがたがた震えている。本当はぜんぶ怖いんだ。
 15年前の喧嘩、今は出来るのかな。
 喧嘩は偉くない、何も偉くない。しかし異議があるときに異議申し立てをすることは潔癖であり、長いものにまかれるくらいなら殴られたいよね。
 女のからだで生まれ成長した私は、妊娠しなければ大体はオーケー、という、最低な思想で生きている。




 ところで某が書いた「この美しい国で笑顔で税金を納めていきたい」という作文のことを思い出す都度、私は激しい怒りに駆られるんですけど、どうすれば良いのかな、どうしようもないのか?


   



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