Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

 1ヶ月振りにmにLINEを送った。

 1ヶ月前はいきなり彼女がいきなり通話を掛けてきて、「ごめん、出られなかった。メッセージ送ってから出られるときに掛けて」みたいなことを私は何度めかに云ったような気もする。彼女はそういうソーシャルな手順みたいなものを知らない子で、電話なら電話で突然かけてくる、いつも。「元気?」と訊かれて「あんまりかな」と答えた。「カウンセリングに行きたいと思ってる」と答えた。往々にしていつも、私の方が病状的にやばめな発言をしているのに、往々にしていつも、あなたの方が大丈夫かと信じてしまうのに。

 暫くして付いた返信を書いていたのは、mの夫のひとだった。入院ではなかった、事故ではなかった、病気ではなかった。

「俺たちも同級生が〜〜病で死ぬような、歳だもんなあ」というような、そういう言葉を交わすような亡くなり方をした同級生は未だいなくて、それならそれで、良いのかも知れない。

 何人かに連絡を送って、何らかのweb上の写真と文章を保存しなくては。

「いずみちゃんって絶対二十歳前に死ぬよね〜」と、脳天にバキューンと指を当てた友だちや他の友だちとげらげら笑っていたあの日は過ぎて、「永遠に独身」の第一候補を裏切って、私はクラスでいちばん早く籍を入れ、そうして誰かよりも長生きしている。


 mちゃん、きみはね、
 自分の人生をドラマティックなことのように、いつもそう、捉え過ぎだったよ、いつも。あなたは全然、逸脱したミステリアスガールな詩人とかじゃなかった。ちゃあんと地に足をつけることを気をつけ過ぎて衰弱している時点でそういうことなんだよ。きみの詩集をつくりながら、いつもそう思っていた。口にしたら嫌がられるかと思ってあまり云わなかった。ちゃんと云ってあげたら良かった。ごめん。都度都度、本音を投げても、きみは受け取ってくれたかも知れない。(あたしの芸術性に無理解なユラ)と仲良くなれなくなってゆくのではないかと思って怖かった。ちゃんと信じたら良かったんだ、そもそも万事正直な気持ちを云う方が、私にとっても気分が良いんだ。凡庸は何も悪いことじゃない。家族が欲しかったんだよね、家族に弔われたんだね。

 明日まで、出来るだけ早く、美学の先生にメールしないと。

 つまんない日々につまんない自分を傷つけて、つまんない51歳中年男性にからだを乗っ取られて望んでもいない文転をして望んでもいない大学に入って出逢ったきみは、まじで天使だった。大学に3時間かけてやって来る、グルーミーの小さな縫いぐるみを携えたきみ。

 ゆるやかにおやすみ、正義の白Tシャツが似合うガール。
 私はきみに3枚くらい、私が絵を描いたTシャツをあげたっけ。あげられて良かった。ありがとう。受け取ってくれて嬉しい。ありがとう。着てくれてありがとう。着ている姿をInstagramFacebookに載せて、「渡邉いずみちゃんの作品」と書き込んでくれて、ありがとう。

 あなたの家のリヴィングの長女さんが描いた水彩画と交互に、私の水彩画も貼ってくれて、嬉しかった。「あたしの好きな抽象画はこの部屋の壁」とFacebookリヴィングルームの写真と一緒に載せてくれて。
 様々、誇らしい。
 それ以外の感情は無くて、悲しいも何も無い、きみは何ヶ月も逢わなくてもきっとあの町の良い感じの家で夕食を作っている。逢いに出向いてないだけ。それだけ。逢えないひとはお墓よりも、ただ、逢えない、それだけ。


 〝sigh〟


 
      

 生きているひとを大切に敬い、ほんとうのことを発言して関わるように、努める。
 死んだ友人も想い、尊ぶ。
 そのどちらのひとたちも、大切に愛する。

 それだけ。


         



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