Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

2024年5月の二号店

   
 尼崎市杭瀬の、杭瀬中市場にある古書店「二号店」で、にゃんしーさんと一緒にお店番(今日のロッキン)をしました。にゃんしーさんのtwitterでのご友人たちが来店くださって、にゃんしーさんも嬉しそうに話していて、良かったです。ありがとうございます。

 そのおふたりとにゃんしーさんがレジで話しているとき、私の旧iPhoneから Bluetoothで飛ばして流している店内のBGMがTWIMYの〝TODAY〟になったことに言及されて、すごーい、偶然だなあと思いました。色んなひとに色んな場面でこの曲が話題にのぼるのに、TWIMYは全然見つからない、かのような、不思議。あのときのYouTubeは何処に行ったのかな。今では誰かがカヴァしているような。

煙草酒女宗教パチンコにギャンブル政治活動にはハマれず

 という歌詞を初めて聴いたときは、あたまに杭を突っ込まれたようでとても良かった。TWIMY解散の日かその直前にこの歌を知って、CDの通販を申し込んだ記憶。youtubeの動画がいつ消えたのかは、知らないでいる。
 もういない歌手だから良いわけじゃないけれど、もういないからこそ年々鮮烈になってゆく。煙草酒女宗教パチンコにギャンブル政治活動。

    

   

市川沙央『ハンチバック』

 

 KindleUnlimitedのなかにいつかの芥川賞受賞作が入っていたので、読みました。ハンチバックとは「せむし」の意味とのこと。巧妙な隠喩に対し、直喩は語り過ぎだと思った。喩えを書くのが達者過ぎる書き手は、この(ある意味での)欠如をどう倒せば良いのかという疑問は、間違った意味で世間でまかり通っている云い方に於いての「至上命題」かも知れない。勿論「命題」とはそういう意味の単語ではなくて、隠喩が巧妙過ぎるとそれはもはや直喩であるという問題になってしまうのを〝巧妙に〟解決することって出来るのだろうか。

 

 

 

 続きはあとで。何故ならバッテリがもう無いので。

 

  

夏迫杏『紫陽花の街』

 ちょこっと文芸さんで買った本だったかな。
 Kindle電子書籍もあったので、そちらも購入しました。

 

 

 只々私観なのですが、夏迫杏さんの掌編は「ねえ、だって私たちこういう風にやっていかなきゃ、私たちが持つ幸せを、持っている為には。せやんね」(最後だけ京都弁)
 と、云ってくれるようなくれる気がして、それが好きだ。
『だって幸福とは一番素晴らしいものでしょう』
 私はそれに、頷けるのだろうか?
 真っ直ぐに、目を合わせられるだろうか。

 
 幸福感と共にずっと生きてゆけたらそれは心地よい人生だろうけれど、彼女たちはここを(その世の中を)自身なりに生きてゆくことで、生き易さに似た幸福感を傍らに寄せる。つらく苦心するわけではなく。それでも空に向かってマナを求めるだけの存在ではなく。
 出来るだけ良い状態を作ろうとする人々。優しさ、家族愛、異性愛。彼らは全員、自分と周りの幸福を、自分たちの傍に寄せるように、行動しているように私には見える。その佇まいが、とても眩しい。尊敬、なのかも知れない。
 
 夏迫杏の文学は一貫して、世界は生き易くはないが、生きにくくはしない。
 
 そういうことなのでしょう。


 夏迫さんのことがときどき、眩しい。日々私が罪だの何だのでくよくよくよくよ、しているいる一方で、夏迫さんは幸福とか愛情の近くにある糸を手繰り寄せて本を編み、発行してくれる。どの著書も好きだなあと思う一方で、月例の配信トークを聴いていたら、著者は誉められることが苦手(嫌い?)らしく、私は著者を見上げているというこの気持ちは、一体どうしたら良いのでしょう。


 誉められるのが苦手な著者もいるが、賛辞の下手なブログ記事もある。



      



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