いない、いない、何処にもいない
無人の家を歩き回る椅子が探しているのは
今年四歳を迎えた僕の妹ゆうこ
ホラ、いーだハチャント帰ッテキタジャナイカ
違う、ゆうこはイーダじゃない
ゆうこはイーダじゃないんだ
東京に住む末弟が訪ねてきてくれました。にゃんしーさんと弟がふたりで仲良くしている雰囲気を感じると、とても嬉しい。ふたりは服装とか笑顔が可愛いところとかが似ていると思います、私の実弟ですが。にゃんしーさんとは直接の血縁ではないですが。
3人でチーズケーキを食べたりしました。紅茶を冷やしておいたわりに、へえ、きみってボスのペットボトルを喜んでのんだりしてくれるの、と思ったり。暑かったよね。
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choriくんが8月20日に亡くなったことの、幾つかの話。
小学1年生のときに同じクラスにいて(高学年のクラブ活動も同じだった)、卒業後高校生のときにネット上でまた見つけちゃってその後なんとなーく接点があったちょりくん(choriくん、キクチミョンサ)が亡くなったと、QくんがLINEをくれたのでtwitterを確認しました。
https://x.com/myeongsa_chori/status/1827179649182658568
お酒に弱いのにいつもいっぱいのんで、でもお酒が直接の原因で亡くなったわけじゃないようですし、うん、けど悔しいから40歳を超えて欲しかった。根拠は無い。暫く会っていないし彼の知り合いは職業柄含め本当に多いし。
「誰より愛されたがりだった」と書いてくれるパートナーの方がいてくれて良かったと思う。たぶんそれが本当に核心だった。それに関してはオリジナリティさえあった。ずっと。
京都でも大阪でもネットでも見ていた筈なのに、お互い6歳児だったときの雰囲気をもっともよく憶えている。だから、そんな頃のあの子を知っている私のことを、彼はけっこう嫌いだろうなと思う。そんな今の自分とは異なる形成をしていた年頃の話を勝手にされたくないでしょう、しないけど。そもそもきみと組んで京都ポエトリー月間の実行委員やってたにゃんしーと私が暮らし始めて今に至るし、変なの。京都ってコンパクトシティだと思う。渡辺さんは千くんのちっこい頃のことをわざと面白可笑しく話したりはしないよ。でもそれを疑われていたか、疑われていなかったかも知れないけど、近くに存在されたくなかったかなと思ったりする。目の上の瘤というほどではないけれど(私はそんなに大物ではない)、なんか、ごめん。ちょっくら近い場所に来たりしてごめん。界隈に登場されたくないなと思う瞬間はあっただろうと思うとごめん。でも私だって詩なんだよ。
あと、私はきみよりも大量のアルコールをのみます。のんだら酔うな・酔うならのむな、がモットーなので、ほぼ一緒にはのめない。
ポエトリーリーディングより前の、詩の投稿・批評掲示板の頃がいちばんよく見ていた。私も少しだけ投稿した。例えば最果タヒさんが投稿してきたのもそこだった。「地球の一番長い午後」、「ぱおれ」「ワールズエンド・スーパーノヴァ」「Birth Mark Words」「第N区」usw.あの頃、手製HPでフリーサーバを転々とするのが流行であるかのような気さえした。ああいう朗読しない詩もよかったのに。
周りの方々、ご家族の皆様、お疲れが出ませんよう、お気をつけて過ごされますように。子どもの頃は御母堂にいつも優しくしていただきました。ありがとうございます。今後ともお元気でいらしてください。
天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。
擬音語の書き込み具合(流血がどむどむどむ〜!)が面白すぎるしコマ割りもかっこ良いし、というかこれが洗練というやつだ、と制作年を確認せずに読了して、後記を読んだら『レッド』よりも最近の漫画でした。そりゃ洗練するに決まっていた。普通の云い方をすれば巨匠だ。しかし巨匠は巨匠であるがゆえに、普通の云い方で賛辞したくない、何故なら巨匠だから。
山本直樹さんが森博嗣先生の漫画を手にしてから漫画を作り始めたというような展開、熱すぎるし、そして森博嗣の漫画は萩尾望都に起因する、世界よもっと感動しろ、私はとても嬉しい。しかし夜の学校のプールって本当に良い(cf. 「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか)ものですね、私も行ってみたい。