Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

ハ長調の破調・チャリティ親睦会

 ブログをちゃんと書かないと、と毎日思うのに、書いていない。今は202311126 1:27です。「ギフテッドの当事者会」という文字列を見て、くらくらした。大抵のことは椎名誠風の「うるせえうるせえ」で済ませたいなあと思った。玄関開けたら2分でご飯、というフレーズが自分の底にこびりついていて、わりとそれって絶望した方が良いのではないかと思った。幼稚園の「おわりのうた」を歌ってさようならをするんだよ、と娘希さんに教えてあげて、歌ってみたら、思いのほか、軍歌めいたメロディだったので戸惑った。でも単純なハ長調で5、6音しか使わずに作った歌って、仕方がないのではないでしょうか。しかし歌ってみるとやはり翼賛地味ている。先生と皆さんに丁寧にさようならを云うだけでも、翼賛地味てしまうのか? そうなのか?

 私が宗教2世であると自覚したという話を、娘希さんに話せて良かった。打ち明けたとかそういう感じではなく普段のような作業をしながら(私は飲酒もしながら)話したのだけれど、話して良かった。私は山上被告が銃を撃った日からずっとそのことを考えている。

 懇親会とかを開催出来るほど人々と交流があるひとは、須く食事会で皆から任意で100えん集めてもいいかな、と云ってそれを国境なき医師団に送るとかそういうことをすれば良いんじゃないかと思って、どうしてしないんだろうと思ってめそめそした。1人のひとが募金する10000えんより、100人で100えんずつ集めれば良いのに。違うのか? 違うのか? 悪いけれど私は懇親会とか親睦会とか宴会は無いし(他人を知らないので)今日10000えん出したら明日以降暫く募金出来なくなる。でも100えんなら出せる。ひとが集まるならそれ、やれば良くない? 違うのかな。ともかく、めそめそしています。何故か分からないけれど、自分がヘイトスピーチをしているみたいで、とても悲しい。20人で呑み会するなら、100えんずつ貰えば? って思っているだけ。それだけなんですけれど。


 最後に繰り返すけれど「ギフテッドの当事者会」っていう単語、は? としか思わなかったんですけれど。そもそも「ギフテッド」とかいう単語を使うあたまの悪さはしんどい。

 チャリティしようね、って云いたいみたいな、ちょっとそういうムードになったのに、ギフテッドの悪口を云って台無しにするブログのひとだ! やーいやーい。会話系ブログで「いまどきの子どもが『やーいやーい』なんて云うか?」と書かれていましたね。やーいやーい。


       
         
      

ひだり頬を撫ぜる

 眠ろうとして寝台にいると、どうも、空気が動いている。冷暖房装置や除湿や加湿などを何もつけていない部屋なのに、左の頬や耳のあたりを、そよ風よりももっと軽い風が撫で続けていて、光源という言葉はあるが、風源はあまり聞かない、が、その風源が分からない空気が動いている。
 推理小説の探偵などみたいに、何処かに閉じ込められたときの仕草、人差し指に唾液を少し付けて縦に指をかざして、どちらから吹いているのか探ってみたけれど滅法分からない。私は横になっている。空調は何も動かしていない。空気の対流が起こるものは恐らく無い。しかし私の左頬や左耳にやわりとした風がずっと触れている。理由はあまり分からない。
 不安になっていると、奇妙な現象に遭いやすいということはあるかも知れない。変なことってあるよな、とは思っている。実際最近も身の回りであった。最近亡くなったひとの作業に関わることがとみに多かったから? なんてオカルトみたいなことを考えたけれど、そういうことを信じるのは逆に恥だと思っているので、そういう誰かのお気持ちが漂っているとかいう発想は無いです。
 娘希さんは明日6時に起きて、水曜の夜まで出張で帰ってこない。だから私は少し不安だ。不安になると微風が流れるというような、なんだかそういう仕組みってあるのか? 知らないな。


 1ヶ月振りにMにLINEを送った。

 1ヶ月前はいきなり彼女がいきなり通話を掛けてきて、「ごめん、出られなかった。メッセージ送ってから出られるときに掛けて」みたいなことを私は何度めかに云ったような気もする。彼女はそういうソーシャルな手順みたいなものを知らない子で、電話なら電話で突然かけてくる、いつも。「元気?」と訊かれて「あんまりかな」と答えた。「カウンセリングに行きたいと思ってる」と答えた。往々にしていつも、私の方が病状的にやばめな発言をしているのに、往々にしていつも、あなたの方が大丈夫かと信じてしまうのに。

 暫くして付いた返信を書いていたのは、モエの夫のひとだった。入院ではなかった、事故ではなかった、病気ではなかった。

「俺たちも同級生が〜〜病で死ぬような、歳だもんなあ」というような、そういう言葉を交わすような亡くなり方をした同級生は未だいなくて、それならそれで、良いのかも知れない。

 何人かに連絡を送って、何らかのweb上の写真と文章を保存しなくては。

「いずみちゃんって絶対二十歳前に死ぬよね〜」と、脳天にバキューンと指を当てた友だちや他の友だちとげらげら笑っていたあの日は過ぎて、「永遠に独身」の第一候補を裏切って、私はクラスでいちばん早く籍を入れ、そうして誰かよりも長生きしている。


 モエちゃん、きみはね、
 自分の人生をドラマティックなことのように、いつもそう、捉え過ぎだったよ、いつも。あなたは全然、逸脱したミステリアスガールな詩人とかじゃなかった。ちゃんんと地に足をつけることを気をつけ過ぎて衰弱している時点でそういうことなんだよ。きみの詩集をつくりながら、いつもそう思っていた。口にしたら嫌がられるかと思ってあまり云わなかった。ちゃんと云ってあげたら良かった。ごめん。都度都度、本音を投げても、きみは受け取ってくれたかも知れない。(あたしの芸術性に無理解なユラ)と仲良くなれなくなってゆくのではないかと思って怖かった。ちゃんと信じたら良かったんだ、そもそも万事正直な気持ちを云う方が、私にとっても気分が良いんだ。凡庸は何も悪いことじゃない。家族が欲しかったんだよね、家族に弔われたんだね。

 明日まで、出来るだけ早く、美学の先生にメールしないと。

 つまんない日々につまんない自分を傷つけて、つまんない51歳中年男性にからだを乗っ取られて望んでもいない文転をして望んでもいない大学に入って出逢ったきみは、まじで天使だった。大学に3時間かけてやって来る、グルーミーの小さな縫いぐるみを携えたきみ。

 ゆるやかにおやすみ、正義の白Tシャツが似合うガール。
 私はきみに3枚くらい、私が絵を描いたTシャツをあげたっけ。あげられて良かった。ありがとう。受け取ってくれて嬉しい。ありがとう。
 あなたの家のリヴィングの長女さんが描いた水彩画と交互に、私の水彩画も貼ってくれて、嬉しかった。「あたしの好きな抽象画はこの部屋の壁」とFacebookリヴィングルームの写真と一緒に載せてくれて。
 様々、誇らしい。
 それ以外の感情は無くて、悲しいも何も無い、きみは何ヶ月も逢わなくてもきっとあの町の良い感じの家で夕食を作っている。逢いに出向いてないだけ。それだけ。逢えないひとはお墓よりも、ただ、逢えない、それだけ。


 〝sigh〟


 
      

 生きているひとを大切に敬い、ほんとうのことを発言して関わるように、努める。
 死んだ友人も想い、尊ぶ。
 そのどちらのひとたちも、大切に愛する。

 それだけ。


         

世界、その地理と歴史

 戦争ではなく、事態は虐殺に傾いているんだ、と、気づく。気づくのが遅いと憤られる方には申し訳ないが、そう思っただけ、自分としてはまましだった。
 歴史と地理の参考書を買った。なんやかんやあっても、高校生の参考書というものは頼りになる。くぢらくんにどの教科書が良いか教えて貰った。私は高校生当時、理系科目を解くことに打ち込んで、というより社会科の先生が社会的に問題のあるひとだったので、倫理などの資料は貰った途端にごみ箱に捨てて、耳にイヤフォンを突っ込んで頭から上着を被って卓に伏していた。学生も社会的に問題がある。
 それでなくても私は、社会科が苦手である。暗記が嫌いだった。今は高校生ではないので、暗記する必要は無く、教科書類というものはその情報量にしては異様に安い(教育だからなんだと思うけど)ので、今日、発注してきた。

 

 かつてユダヤ人は迫害された。
 ガザはイスラエルの軍に迫害されている。
 戦争というより、民を選んで地域で殺す、という体制。大量虐殺。が、目下、目にすら場所にある。という屈辱。(と云っても戦地のひとの屈辱の0.1%にも満たないわけだが)ぼうっとしていると、何も書かないと、何も思っていないかのようにこの世界への態度を取ってしまう、それはやっぱり屈辱でしかない。以前の日本のテンションでいくと、こういうことを文章にしたためることすら死の宣告だった。私は命が安穏で、だからそれがとてつもなく恥ずかしい。誰ひとり助けられないことは屈辱だ。
ノンポリじゃないけど、noteやtwitterには書かない主義」のひとは、インターネットじゃない社会で確信的に闘えるのかな、知らないけど。何処にでも、空気を読めないひとのレッテルを貼られるくらいなら、発言しないひともいて、でも空気って何?

 なんか、TVではあまり報道してない? のかな。TV観なくて。
 それでも「年老いた両親が2ちゃんねるのまとめYouTubeばかり見ている」という話もつらいし、もう本当につらいし、本当に私が私であったならさくっと死んでいたと思うがこんな場所は去りたいのだが、しかし今いる私は私なのだった。そんで、死んでいない。


「しんどくなるひともいるから、無理してネット上の動画を見ないで良いんですよ」と説く日本人のtwitterアカウント(学者業だそうですよ)。本当に〝しんどい〟のは、苦しんでいるのは、あっちだ、そっちにいるひとたちだ、映像に映る燃やされた街の燃やされるひとたちだ。なんで「見なくてもいい」なんて云えるんだろうと思った。『火垂るの墓』を〝鬱映画〟と云って良いのか、はだしのゲンを、トラウマだと思うその他所ごとっぷりで、今、そのひとはイスラエルの爆撃を見ているのかな、それは、おかしいでしょう。


(それから、「日共組の思想の所為で毎年『火垂るの墓』を見せられたけれど、『この世界の片隅で』でちょっと昇華した」人たちのトゥギャッタ。もう良いよ、日本人から降りたい。とは云えど、私は「日共組」の関わりのない小学校に通っていたので、つまりミッションスクールの小学校にいて、そういうのもあいつらには迫害の対象になるわけですよねどうでも良いけどね)

 少なくとも私はそういうのが嫌で、楽しいことも過ごしながらも、苦しいひとがくるしいことを〝つらくなっちゃうから〟目を瞑るのは嫌だ。うちの家系は血の出る話をしてもそこそこ平気過ぎる家系なのだと思いながらも、twitterに載った映像を観ている。最初の方は、SNS時代、すぐにスマートフォンに撮って上げるひとが増えたのだという言説かと思っていた。
 でもたぶんそうではない。
 伝えないと、誰も助けられないからだ。
 もしも「しんどくなる」なら、あなたは「しんどくならなくても済む場所に住む」対価をきちんと帳尻合わせているのか、尋ねてみたい。
 私は今、私が色々なことに怒ることにすら罪悪感がある。それは、自分の地位を、他人の命よりうえに持ってこようとしているからなのではないかと感じる。
 尊厳というもののことを、本当に本当の意味で考えたい。

 15年前、西成のココルームで酔っ払ったおじさんたちと、私は今でも喧嘩、出来るだろうか?「日本も軍を持つべきやろが!」「外国が攻められてきたらどうするんや!」「あなたがたはひとを殺したいのか!」
 別に15年前の私もまったく駄目な人間であったことは確かであり、最近のココルームは違う感じの場所だという風の噂も聞きますが。あの喧嘩のあと、宥めてくれた上田假奈代さんからお蜜柑を貰って、娘希さんと半分こで食べた。単なる夜の呑み屋を、気分悪くさせたい存在だったのかな。
 
 私は本当のところ、すっかり弱くなってしまった。あんたそんなに怒鳴るならさっさと私を殴り倒して、そんでもっていつかは逮捕されてくれ、くらいの気持ちで、からだはがたがた震えている。本当はぜんぶ怖いんだ。
 15年前の喧嘩、今は出来るのかな。
 喧嘩は偉くない、何も偉くない。しかし異議があるときに異議申し立てをすることは潔癖であり、長いものにまかれるくらいなら殴られたいよね。
 女のからだで生まれ成長した私は、妊娠しなければ大体はオーケー、という、最低な思想で生きている。




 ところで某が書いた「この美しい国で笑顔で税金を納めていきたい」という作文のことを思い出す都度、私は激しい怒りに駆られるんですけど、どうすれば良いのかな、どうしようもないのか?


   

10/18上々天氣

 友人の命日でした。


 


 楽天市場を通して送ったお花、最近はこのようなラッピングとカードで、と事前にメールをくれるので、尼崎⇔京都間でも大変助かります。

 19歳のときに自死した子で、私は結構深く日々を一緒に過ごしていた。私が浪人して、彼女が一回生だったときは、よく私の部屋に泊まっていました。高校2年でHPを作った切っ掛けのひとつも彼女だった。ほぼ授業に出られなかったレヴェルの高校時代、卒業旅行と名の付くもの、しかも2件とも同行していた。
 それだけの感情じゃないけれど、今、私は、19×2の年月を生きている。それだけが理由ではないけれど、本当に、ごめん。あなたに貸したら、あなたの情緒が揺れ過ぎてしまった本を、私はあなたに貸してしまった。あなたは同じ作者の本を集め始めた。本当にこれについては、元凶は私ですなんて傲慢にご家族に謝れば良いのかというと19年後にそう云われてもね、……私はいつか忘れるときがくるまで、ずっと覚えています。好きな友だちだったよ。
 小学校1年生のとき、斜め前の席で、4人ひとグループで山の家の地図をクレヨンで描いたとき、私の乗せた色が良くなかったらしく、凄く怒られた。そんなことも憶えている。私がバイエルを持っていた頃、何故か批判されたみたいな、意地悪っぽい、そういうことも憶えている。まあ、高校生の頃からは、殆ど意地悪などではなかった。


 最近は、私は、淋しい。
 色々さびしい。
 いろいろ、さびしい。
 いろいろ、本当に、淋しい。そして、助かりたい。

 たーすーけーてー。という言葉しか脳裏に浮かばずに、過ごしている。
 でも生きている。
 私は、死んだらどうこうよくなる・楽になるという発想が出来ないほど、絶望しているんだ、ときみに話したい。
   

   #


 

    
    
 まったく、悪い本ではない。私は今でも、これらの書籍が大好きだ。でも彼女は、これらに描かれる少女・または元少女が住む本のなかの世界に甘やかされたくなってしまった。本と現実は乖離し過ぎているのに。だってそれは、本だよ? 最初に私の書棚から抜いて、そして自分でも買い始めた。貸してごめん。教えてごめん。なんなら私がその分甘えられる対象になれなくて、それは本当に、今云っても仕方ないんだ。甘えたかったんだね。それくらいしか、振り返れない。めめちゃん、イラスト、上手かったね。「少女期」というタイトルの私の肖像。ありがとう。あの頃周りに居た子たち、誰も今、周りにいません。意識的に遠ざけられたりも、した。だってあのアパートに集まったのは4人だけだったし、そのうちふたりは、彼女たちは彼女たちで楽しくやっているみたいです。私は幼稚だから、そんなことですっごく淋しいけれど、自業自得と云われたらもう何を云っても叶わないのでしょう。

 そう云えば最近は小説家をしているから、けれど私は私のリアルしか書けないから、近寄ったら迷惑を掛けられそうなのかも知れません。めーちゃん、あなたもそう思うかも知れないね。
 結局私が悪いひとなんだ、と四六時中考えています。

       

         
              

云うなればエンタメ

 SNSっていう言葉が嫌いで、全部纏めて「インターネット」って呼ぶが良いという思想がありまして、SNS疲れとか、Twitterにはもう何も書けないから新しい場所を探すべきとか、ほか様々な苛立ちを観測していますが、人間のくせにツールの所為にするな。それはただのインターネットだ。苛立ったり怒ったりしたいのは、自分の心の問題
 大体私はそういう感じ。

    
 

 「原因は自分!」と云ううさこちゃん


   #
    
 ただ、twitterがXという名前に変わったタイミング頃から、これはどうなんだろう? と思っている仕様として、
    

  • 私のことをブロックしているアカウントの発言が、リストや他人の引用RT、他人との会話の始まりや返答、については私のアカウントに表示されている

    
 これはブロック機能ユーザは知っていた方が良いんじゃないですか。見せたくない相手に、見えてますよ。

   #

 下記は、twitterの揉め事が知りたい方への実情の話。書いたら自分が損するだけだよ、と家のひとに云われると思うけれど、ここ数日貰ったメッセージとかLINEの一部からして、この話題を見ているのは、物見高くエンタメ性を楽しんでいるひとが多いので、サーヴィス。
 ブログが汚れ過ぎて嫌だな、と思ったら消します。

Read more

rock-you-in!!

 というわけで、14日は二号店でロッキン(お店番のひとのことを、二号店ではこう呼びます)に、にゃんしーさんと入りました。写真はあとで足すらしいですよ。

 note.com



 杭瀬中市場では、ドリーム・マルシェが同時に開催されていて、数ヶ月前にもピアスを購入させていただいた
方から、またピアスを買いました。Instagramで見た、ねこさんのピアスです。ひとつはイヤリングに金具交換して貰って、にゃんしーさんが着けます。私は片方しか開けていないので、右耳にピアスを着けます。

 

 ねこさん、ねこさん。
 黒猫さんもいました。パーツの具合から、今日は、白猫さんを購入。ピンクみ多めの写真になってしまいましたが、金具はシルヴァです。ゴールド似合わないと思っているので。いや思っているというか似合わないのでは! 分からないけれど。

 中市場はひとどおりが多いね、といつもお店を見にくる(点検?)おじさんが云ってくださいまして、「マルシェだからですかね」と答えると、
「やっぱり気候が良くなったからねえ」だそうです。
 夏、どはでに暑かったですよね。

     
      



 web site