Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

調理と壇蜜さんの日記

 茄子・茄子・玉葱・ブロッコリ・舞茸、がある。これらを良い風に加熱せねばならない。
 でもカットして冷凍するのもありだとは思う、ありだとは思う(リフレイン)。

 kindleUnlimitedで、壇蜜さんの日記がまじで面白いなあと思っていたら、壇蜜さんの本名が凄い重くてびびった。いや他人のお名前を重いなんて云うのは大変失礼だとは分かるので申し訳ないのだけれど、しかしそこ本名を忘れたくないので、書いておく。でも壇蜜さんがそれを乗りこなしてゆけるひとであったのだと(現時点では)思うし、そうやってゆくことには応援の気持ちでいます。TVとかに出るひとだからと云って(拙宅にはTVが無いのだけれど)「応援の気持ち」とか宣うのはどうかと思う。自分、どうかと思いますよ。
 でも飼っていた生き物が亡くなってとてもつらそうなのが、今、読んでいる部分なので、やっぱり元気になれたら良いなと思う。壇蜜さんの元気は私に何か関係あるのか? あまり無い。無い筈。でもみんな(オールオーヴァザワールド)元気な感じだったら、それは本当に良いことだと思うので……。取り敢えず、そんな展開があるのか/そんな生き物を飼っているのか/そんな表現で文章を切るのか、ということで目からウーロンですので、お薦めします。面白い本でした。


 茄子の話に戻るんですけれど、秋茄子ですよ? 絶対美味しいでしょう? ときどき揚げ浸しなんかに使っていた麺つゆで、ここに味をつけるのは野暮でしょう? じゃあどうすれば良いんだ? 取り敢えずオリーブオイルで焼く。でもまあ、カットしたら冷凍しても良いので。良いのよ。だいじょーぶだいじょーぶ。私はけっこう色んなひとに、「だいじょーぶだいじょーぶ」と云ってしまいがちです。すべてが大丈夫でない人格なので、こんな発言をしてしまう。

      

湯が沸いた『生活は続く』

 twitterで、なんだか面白いアカウントだ何故なのかは上手く唱えられないけれどけれどもしかしなんだか好きなアカウントだ、と思っていましたら、その方のエッセイ集が発行されるとのことで、予約しておいて買いました。twitterアカウントについての気持ちは「食事が美味しそう」「食事が美味しそう!」「食事が美味しそう!!」という感じです。あとは、「お家をきれいな感じにして写真を撮ると、幸福感が上がるのかも知れない」ということ。

 

 お食事の作品は美味しそうで、でもただ飾るとか(バエルとか)ではなく潔癖な感じで。簡素ではなくてきっぱりしていますね! と評価されたいわけでもなくて、ただ食べるものを食べるということが、潔癖、だと思う。だから「湯が沸いた」さんのtwitterアカウントは人気があるのかな。食べたいものを食べる、という発想も、それも潔癖な感じがする。というかたぶんこのアカウント主さんのことのことを何も知らないけれど、つまりご本人の人格の問題であって、だからバエの写真をupし続けているひとがいるかも知れないけれど、湯が沸いたさんのアカウントが続いてゆくのも、つまり人格が好ましい方なのかなあ、と思う。性格を持つって、怖い。


 写真や文字レイアウトの綺麗な本です。

    

8月6日原爆忌

    

原爆忌イーダちゃんは私です

    

8月6日

 太平洋戦争のことを考えた。第二次世界大戦くらい大きいことは、正直なところ全部を知らない。明治維新以後の日本の歴史の教育を欠いている世代であるとも云えるし、「国公立理系を受けるから要らない」と宣言していた高校生の頃に立ち返って、世界史を学ぶことは軽々と捨てて良いことではないと、ここ数年思い知らされている。

 戦争について、考えていた。
 人間の所業のなかの恐ろしいものは──憎悪や敵対心よりも恐ろしいものは──、〝仮想敵〟なのでは、と考えていた。仮想敵を設定している人間のなかでは、自衛と(偽物の)正義の為、躊躇なく外界を攻撃出来る。
 仮想敵を国家単位で煽ると、民族は他の民族というかグループを排除することに恐れを持たなくなる。仮想敵は、自分の妄想だけでしかないし、或いは国家単位の妄想でしかない。そんなものを理由に殺し合いをする道理は無い。仮想敵、それは『なんとなく嫌い』という気持ちに寄り添ってくる。松谷みよ子氏の本から云うと『いわれなき憎しみ』という概念。それに反感を翻さないことは、きっと、けっこう、良い気持ちでいられることなのでしょう。
 
 8月6日に関してはちょっとずれた話題かも知れないけれど、そんなことを考えていた。

『ふたりのイーダ』は子ども時代に、大きな衝撃を受けた本だった。原爆投下ではない角度から、鋭く切り込む。(司修さんは優れた画家だと思うけれど、この本を広く手に取って貰うには、ちょっとインパクトの強すぎる表紙なのでは、そういう気持ちはある。また、『龍の子太郎・ふたりのイーダ』という合本を持っている方が、原爆忌は必ず「ふたりのイーダ」を読むことにしているけれど、同時に「龍の子太郎」も読んでしまう、という余談を聞いたことがある。つまり……もっと多くのひとたちに手に取って貰える形が、もっと、あるのでは……司修さんごめんなさい…… )


 

 
     
    
    

カルビーのポテトチップス原爆忌  中田美子


 

(「いわれなき憎しみ」について)

有名人

  
 

 「にゃんしーってゲザンに似てる」ではなく「ゲザンってにゃんしーに似てる」という投稿を見た。
(でも似てる犯罪者がいるって云われてもね……)


    
     

詩「川」

 
  川


おめでとうと祝福の違いが、三文字分でも分からなくて
知人の結婚式で貰った花、一輪を帰り道の橋のうえから、川に落とした。川に流した。 
浮き沈みしながら花は去って行き、その浮き沈みは日々のように感じてしまったが最後、川が流れゆくことも、流れる水は去ってゆくことも、それが日々 それは人々 それは空気 それは存在 それは実在
もう二度と会えないことを、
もう二度と会えない、と、云うんだね。


      



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