Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

aikoの詩。

 

aikoの詩。(初回限定仕様盤 4CD+DVD)

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aikoの詩。(通常仕様盤 4CD)

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 以前、と云ってももう10年以上前、親密にしていた女の子はaikoが大好きな子で、初ライヴ参加なんかもaikoだった。コンサートライヴに行くようなタイプにも見えなかったけれど、「花火」を聞いたときに、これは他の歌手とは違う、というような直感があった、と、「カブトムシ」がリリースされるより前に話してくれた。その後、aikoオールナイトニッポンコムの水曜日を担当して、私は毎週数学を解きながらそれを聴いていた(どうしてだか常に数学だった。多くは青チャートだが、何故あの時間は数学だったのだろうか、判らない)twitterSkypeもそれよりもいにしえのメッセンジャも無い頃、夜は一人分しか入れない時間でしかなかった。独りの部屋で、ラヂヲから朗らかなaikoの笑い声や弾き語りが溢れて、「歌う前髪一直線」aiko姉さんは私も、とても好きだった。
 
 その友人とはいっときを境に連絡を取り合わなくなってしまった。私は当時からのペンネーム(ハンドルネーム)を変えていないので、連絡が取れなくなったひとでも、検索すればすぐに見つけられてしまう。でもみんな検索さえ、しないだろう、たぶん。私としても、何点か合わせるかおが無い。本当は逢いたい。でも合わせるかおは無い。

 合わせるかおが無いというのは、妙なプライドとか、そういうことなのだろうか? 恥ずかしい。申し訳ない。私は申し訳ないことを沢山したから、逢いたいあの子に逢えたときは、なじられるしか無いと思う。子どもだった頃を切り売りするように小説を書いている現在だから、尚更、それはもうぶたれても仕方がないと分かる。こう書くと、今現在の知人友人にも悪いことをいつかするのではないかという感じだが、あの頃については恨めしさがあった。悲しいが恨みと妬みを持っていた頃のことは小説にしてしまうだろうけれど、今現在のことはそうではないのではないかな、ともし生きているなら10年後の自分に云ってみたい。結局私が気持ち悪いほどの恨みがあるのだ。私だけのユートピアの地獄。小説家はそういうことをしてしまうものだろうか? しかし、3年ほど前、3年間台湾で独りだった時間を越えて、私は何かの期待を諦めた。もしかしたらそれがおとななのかも知れないけれど、そんなの既に晩年だ。
   
 私たちのなかの一人が亡くなったあと、私たちはバランスの悪いガラス細工みたいな均等で日々を続けていて、それは傾いて私は独りになって、勿論そういうことを今現在blogに書くのそれ自体も(それ自体こそが、だろう)合わせるかおが無い理由である。
    
 なのに淋しい。淋しい私は最低だ。
 14才のときに作ったペンネームを、このまま変えないでゆけるだろうか。

   
 そういうお話を、作りました。

     
 あれも素晴らしくて これも素敵だった     
     
         (「今度までには」)   


      
         



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