連休後半、何も食べず取り組みたい気持ちも何処にも無く目を瞑っていたのですが、日曜んの夜に家人が「オムライスを作った」と云って起こしてくれて、そうしたらスヌーピーの形のごはんで、思わず笑ってしまって、食べました。連休、なんかちょっと良い話みたいになっちゃったんですが、そういうのがすきなんぢゃあないんですよ。しゃらくさいし、生来ほのぼのするエピソードみたいなものに心を向けない性格なので、駄目です。
もうどうやって、何をやっていけば良いのかまったく分からないのですが、お願いしたりお願いされたりしたこと、配送します・出版します、と云った発行物、原稿として寄せますと約束したお仕事のとかのことはきちんとしないといけない、とは、毎日毎時間思ってはいます。いけるようになりたい。本当に色々とご迷惑をお掛けしており、申し訳ない。
今日は、木葉揺さんの合同詩誌関連のことをしました。
5月8日16時50分
どうなったら良いんだろう、何をどうしたら良いのか分からなくて、生きるも死ぬもそれ以前に分からないとき、『ヴィヨンの妻』を思い出す。
私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
と言いました。
「生きていさえすればいい」のか? それもどうなのか判らない。ただ、ひとが無為に悲しんだり怪我をしたり殺されたりしなければいい、それだけしかない、それだけなのかな? それだけかどうか思索する為にも、今夜も眠って明日も起き上がれたら良い。夢はあまりみたくない。深く眠り起きられたら良い。