ミルナは鏡のなかにいる。
行旅死亡人(こうりょしぼうにん)とは、日本において、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指す言葉で、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称でもある。「行旅」とあるが、その定義から必ずしも旅行中の死者であるとは限らない。なお、「行路死亡人」は誤り。
(Wikipediaより)
ミルナは行旅死亡人について考えていた。
5年ほど前か、行き倒れについて色々考えたことを思い出した。
木の下で眠る。そんな日々が続きやがて、行き倒れとなる。
廃鉱山のなかで独り暮らす屈強なひとりの男の物語。女には何が出来るのか。女だから出来ないのか。男には出来るのか。
日本だから出来ること。尼崎だから、京都だから、起きること。新宿だから、渋谷だから、起こること。
何かを売る? 金銭を持つか否か。
血縁者に対して、何と云って木の下に住めば良いのか。
帰宅する場所は無いのか。
無くなるように作業して家を出るのか。
若しくは、インターネットカフェ。漫画喫茶。カプセルホテル、ビジネスホテル。駅。バスターミナル。図書館。
靴は。服は。鞄は。持ち物とは何なのか。本棚とその中身無しに生きること。手紙と写真。携帯電話。コンピュータ。
GPSタグ。
街中の監視カメラ。目撃者。
誰かを愛してしまったら、どうするのか。
戸籍。私の存在と、戸籍という概念の関係性。
想うことは尽きない。そもそも何故そんなに行き倒れについて考えてしまうのだろう、または考えていたのだろう。