Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

川上弘美「風花」(集英社文庫)

かざはな。
主人公、「のゆり」。夫「卓哉」。のゆりの叔父の「真人」は浮気性だけれどちょっと素敵なひとだなあ。
全体的の雑感……何と云うか一般の作家みたい。一般の現実めいているし。川上弘美さんの現実ってこういうのだったっけ、とちょっと物足りず。


風花 (集英社文庫 か)

風花 (集英社文庫 か)


それにしても、一度は一組になった男女が別れて心が離ればなれになるのは悲しい。とってもかなしい。少しだけ歳を重ねるまで私は知らなかった、解っていなかったことがあって、それは男女相互疎んじ合い別れてゆくときも、いざ別れる瞬間のときはふたりとも心から悲しく涙を流して泣くのだろうということだ。さっぱりしたああせいせいした、ああよかった身軽になれたわ、なんて明るく深呼吸するようなことというのは、無いのではないだろうか。憎み合うから別れる、別れられたら一段落着き嬉しいな、という流れだとは限らないのだなあ、と思う。「憎む」と「疎む」という二つのことも、全然違うのだと知った。ひととひとのあいだに起こるものは憎しみよりも倦んだり疎んずる気持ちの方が多いのではないだろうかと思う。憎むって、大変だししんどい作業、と私は思っている。人間関係の間合いで起こる、通じなくなってしまう、という現象は、とっても淋しい。もしかしたら死に別れるという別離よりもずっとかなしく淋しいかも知れない。
作中の温泉宿の風呂場の落書きに「死んだらおしまい」と書かれているのだが、でもおしまいって別々で淋しいこととはなんだか違うし、登場人物は死ぬ素振りなど全くないひとたちだから、逆説的な何かなのかなあと思ったりしました。


以下抜粋文です。畳みます。

「今の世の中、あたしたちを拘束するなんていう、責任っぽいこと、誰もしてくれないのよ」(p.137 最終行)

わたしいつも、ここにいない人のことを、ちょっとだけ、思う癖がある。(p.175 l.13)

みっともないことなんだな、他人と共にやってゆこうと努力することって。(p.183 最終行)

どのような陰翳をもつ「ああ」なのか、自分でもよくわからぬまま。(p.192 l.3)

人の中にいても、いつも自分の爪の先をこっそりこすっているような感じのひとだと(後略 p.254 l.11)

「あるはずのないものなのに、そこにあることがものすごくしっくりきていたから」
(p.260 l.16)


(死んだらおしまい:作中の温泉宿の落書きのようなもの)



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