ちょこっと文芸福岡さんで買った本だったかな。
Kindleの電子書籍もあったので、そちらも購入しました。
只々私観なのですが、夏迫杏さんの掌編は「ねえ、だって私たちこういう風にやっていかなきゃ、私たちが持つ幸せを、持っている為には。せやんね」(最後だけ京都弁)
と、云ってくれるようなくれる気がして、それが好きだ。
『だって幸福とは一番素晴らしいものでしょう』
私はそれに、頷けるのだろうか?
真っ直ぐに、目を合わせられるだろうか。
幸福感と共にずっと生きてゆけたらそれは心地よい人生だろうけれど、彼女たちはここを(その世の中を)自身なりに生きてゆくことで、生き易さに似た幸福感を傍らに寄せる。つらく苦心するわけではなく。それでも空に向かってマナを求めるだけの存在ではなく。
生きるのに容易過ぎるわけではないこの世界で、出来るだけ良い状態を作ろうとする人々。優しさ、家族愛、異性愛。彼らは全員、自分と周りの幸福を、自分たちの傍に寄せるように、行動しているように私には見える。その佇まいが、とても眩しい。尊敬、なのかも知れない。
夏迫杏の文学は一貫して、世界は生き易くはないが、生きにくくはしない。
そういうことなのでしょう。
夏迫さんのことがときどき、眩しい。日々私が罪だの何だのでくよくよくよくよ、しているいる一方で、夏迫さんは幸福とか愛情の近くにある糸を手繰り寄せて本を編み、発行してくれる。夏迫さんの方が暢気という意味ではなく、夏迫杏の本の方が、頑張っている。生に対して? というより、幸福に対して? 文学というものをきちんと勉強したことは無いけれど、それが本を本たらしめるものだと思う。偉いと思う。どの著書も好きだなあと思う一方で、月例の配信トークを聴いていたら、著者は誉められることが苦手(嫌い?)らしく、私は著者を見上げているというこの気持ちは、一体どうしたら良いのでしょう。
誉められるのが苦手な著者もいるが、賛辞の下手なブログ記事もある。