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Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

はてな題詠「短歌の目」2017年 3月

tanka web

はてなブログ題詠「短歌の目」3月分です。

tankanome.hateblo.jp




題詠5首

1)草
仮の名を早苗と名付けた晩冬が今は「草子」と名乗ってわらう

2)あま
「終わりだけゆめみてた」四年前の日々「あまい」を歌った四月ばかりの

3)ぼたん
葉ぼたんをキャベツのサラダに飾るなら花のぼたんはディナーのメイン

4)鳥
鳥の眼が飛び去ったあとの冬の日はいつしかパンを蒔かなくなった

5)雷
開かない部屋の氷雨の子供たち春の接ぎ目に落ちた雷

*1

テーマ詠「捨」

掃除好きの親が云うには捨離捨離と小気味の良い音がするのだと

仮令ばね捨子だったら幸せが淋しくなかった微塵のひかり

水の音が遠く遠くにささやけく砂を捨てずに季節を過ごす

この日々はもう欲くない鍵を開けたままで出る掃除機は捨てる

木曜日ものを捨てることは怖い燐寸を出してロープを吊るす










2月に参加した記事はこちら。

vodka.hateblo.jp



   

*1:「あまい」大森靖子

if もしも

text tanka twitter memo book

福島と福岡を間違える友が高校時代には二人いた
(馬場めぐみ「if」より(短歌研究2017年3月号)

 if ......だったら、「福島と福岡を間違える」友人が今も二人もいたんだろう、という、

 

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

 まだあまり読めていません。
 女性歌人特集の前提にあまりにも「命短し恋せよ乙女」振りが塗られていて、所々際立たない歌はその概念のまま止まっている気がしたりしていますが、しかしまだあまり読んでいません。

 このブログ上の「if もしも」が何を指すか分かるひとはそういうタイプの映画ファン。

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

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  #

 話はぐちゃぐちゃなのですが、死ぬような出来事があると今は余生か、もうあの世なのか、と感じてしまう質の人間がいて、震災はその人数を少し増やしたのではないかと思ったりします。

   
 
   

   

並行世界

tanka

並行世界

 

ひとが死を知るつど我も死なねばと思ふ私がまた生きてゐる

無償の愛は血にも知らぬが我死ねば祖母を亡くしてしまふ気はする

蘇生した弟よきみは兎に角もいつも希みの方向へゆけ

姪は今日二才になつて我迷ふ、記憶されないうちに消えねば

やはり又知らぬ他人の自死を知り我も死なねばならぬと思ふ

他人の死我の人生選ばれたことなのですとはとても云へない

 

呪ひ怒り恨みより祈りなのだらう私の腹に煮える湯の悪

黙祷といふより二才児が初めて食べたチョコレイトが希望なら

 

だいじょうぶ繋がると伝へ続けた日五時過ぎやっと怯て泣いた

福島に再建に行く弟に甥の健康を問ふたこと

電気が水が停まらなかつた福島にゐなかつただけで懺悔するひと

 

その土地に居なかつたのだ、あの日から若き表現者の詠む余生

 

ひとは何処かでなんかで死ぬし自死もする我も死なねばとはまた思ひ

姪と甥が喪服で伯母の葬式の控へ室にて退屈をする

夢想より想像と云ふより予想適はぬ迷ふ生きる不可ない

生きたかつたひと生きたこと伝へるひと薬を致死量図る我

 

午前には災害訓練鳴り響き同時にごみ収集車も鳴つてゐた

 

人形を貰ひ真白いほっぺたにべたべたチョコを付けた二才児

ちいさな兄とちいさな妹は今日も眠りのうちに蹴り合ひ夜だ

 

怒りと悼みと個人的希死と惑ひと子どもを交ぜる生きた日

淡々と揺らがなかつた今日の日に歌を詠むのは唯自己嫌悪

 

大切を理解したいと思ふ日

 

https://www.instagram.com/p/BRfTvoiFKE3/
20170311

『短歌研究3月号』

tanka book

 

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]

短歌研究 2017年 03 月号 [雑誌]


 馬場めぐみちゃんが掲載されていると知り購入。
 私は以前同人短歌誌をお気軽に作り、彼女にゲストになって貰った際、その端正さに己の至らなさを思い知り、暫く歌を作らない期間がありました。強く影響を受けた、というやつです。



    

J文学

memo

 Wikipedia河出書房新社が発していたJ文学という事実に関する記述が無くなっていた。数年前は弱々しくも存在していた覚えがあるのだけれど。先ず、webで検索すると「Jブンガク」というNHKでやっていたらしいTV番組の項目に飛ばされてしまう。その頃には教育TVを観るのも止めてしまったので知らないし、そのうえ薄々知り始めたが今は「教育テレビ」という名称では無くなっているみたいですね。そしてNHKは「Jブンガク」という番組を作ったとき、90年代の河出書房新社の活動について、そっくりなタイトルになるというような関係を考えることは無かったのかな。河出書房新社の存在感とは……(こういうことwebに書くと出版社の人に見つかる! 怖い!)


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 2011年頃twitterはてなダイアリーで知った書き手の人について、
「J文学好きなの?」と云い当ててしまったことがあり、それで馬が合うと云うことだったのか暫く組版をしたり会話をしたりLINEをしたりしたあと、
「〜〜さんの小説面白くない」
 と云ったらその後何も音沙汰が無くなってしまった。たぶん色々なものをブロックされたりその後ブロックを解除されたりしているのだけれど、賞の選考の当落の話が伝わってきたのでまた彼のアカウントをフォローしておいた(私は悪趣味だ)
 何が云いたいのかというと(書く人同士の)対人関係ってそんなものにしてしまうわけにはいかないだろうよ、ということだ。
   

*1 

     

*1:ちなみに私は90年代半ばに文学賞を受賞するにはどうすれば良いだろうかと考えて上記の本を買ったのだったが、実際のJ文学愛好者ではなかったというか、ださいと思っていた。私は、というよりも世間全体的に河出書房新社の売り文句は引かれていたのが実情だったと思う。行きつけだった大型書店では棚の見出しに「日本文学男性」「日本文学女性」「J文学?」と書かれていて、そのクエスチョンに苦笑してしまった。良い書店だった。



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