Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

『暗い絵・顔の中の赤い月』

 

 読んでいる。
 1950年頃には、兵士から復員したひとが何人もいたというわけだ。「殺したの?」と例えば父に問えば肯くかも知れない時代。どんなかおをして?

     

《いかに俺のこの感情が人間否定であろうとも、この感情はほんの瞬間的なものにすぎないのだ。俺はその他の時間には、いつものように、曖昧に人間を肯定して、飯を食い、歩き呼吸している人間だ。》と彼は思った。しかし、これらの物を食ったり歩いたりしている人間が、愛を知らないということはたしかなことであると彼は歩きながら考えた。あの戦闘の場に置かれたとき、やはりこれらの人間は俺と同じようにただ自分を守る以外は、ないだろう。食糧のためににらみ合うだろう。戦友を見殺しにするだろう。……


 舞台は戦後の掌編なので、戦争の話は怖いからイヤだ、とか思っているひとも読んだら良いと思います。

      
       

再読『神の子どもたちはみな踊る』

 

 久々に再読。kindle版を買ったのでした。前に読んだのは文庫本が発行された年です。
 東日本大震災は大きな災害だったのは勿論否定出来ないけれど、関西にルーツを持つ人間にとっては阪神大震災も本当におおきかったんだよ、と思う一冊。スマートフォンが無い時代である不安もあったし、神戸や三宮のビルがぼきぼき折れているのは本当に、心に刻まれている(私は当時小学生で京都に居ました)

           

 NHKの英語のテキストになった為「かえるくん、東京を救う」のイメージが強かったのですが、読み直したらどれも面白かったです。


        

      

らもさん命日

 中島らもさんの命日なので、家人と私とらもさんのグラスを並べて、ウヰスキーをのみました。あんまりのみ慣れていないのですが、トリスって好きかも知れない。「いいんだぜ」をyoutubeで流しながら、歌いながら、のみました。

      

  


 アル中で人生が大変だったらもさんの命日に、アルコールを並べることが、果たして善きことなのかあまり奨められないのか、私には分からない。私が分かるのは、私はアルコールをのみたいと思っているということだけで。入院しない程度に、淋しくない程度にはのみたい。それが穴からことごとく漏れてこぼれ落ちてしまうのは、解るけれど。

    
 


 


 らもさんは「おれには六錠がちょうどいい」と書かれているので、私は深夜につらくなってくると、botアカウント相手に「らもさん私6錠じゃ足りないんです」と絡んだりします。らもさんが言及しているのは、セルシンホリゾンですね、たぶん。

 

   

 (河童忌だの中島らも忌だの、忙しく忌日を辿る妻で、家人には申し訳ないと思っています)


        



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