Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』

 

 とんでもなかった。こんな本を書ける作家になれたなら、もう私はもうそれで全部いい。

 一夜ごと、全然眠れない夜のあいだに読んだ。
〝ハン・ガン〟というノーベル文学賞作家だ。最近多く見る韓国人女性みたいなその文化、なんかそういうの(興味が無いので適当にしか話せない)が苦手かも知れない、と思ったり、上手く受け取れないかも知れない、よいものを受け取れないかも知れない、と思いきや、まじで!? こんな良いものを書いて良いんですか?????? と、思い、この本をなかなか読み始めなかった己を改心しました。ごめんなさい。電書買ったくせに買ったことを忘れていてごめんなさい。
 最初のあたりを読んでいた印象は、文章が本当に豊か……ゆたか……というか、豊潤、というか、いや私が連想する単語では絶賛の言葉が無い。もしかしたら眠れぬ真夜中から暁にかけて私を訪れたことさえ、世界はそういう慈愛のあるものなのかも知れない、なんで……?
 あとがき的な部分や解説(平野啓一郎)の部分に触れて、愕然とした、これは小説なのか? こんなに生きているのに?


 取り敢えず、いつ購入したか思い出せないkindleがあってよかったなあ。よかったねえ。いいんだぜ。

 なんか……なんでそんな下らない反応なんだよ、と悔いると果てがないのですが、……本当に良い読書でありました。

 著者の敬虔さなのか、文学へ相対する際における敬虔さなのか、それが〝豊か〟であることとお互い容認しあって、奇跡的な文章を紡ぎ合える。そして、私はこの文章が著者の類歴の一種の物語ではなく、ひとつの小説であることに本当に打ちのめされてしまう。
(今まで若干避けていてごめんね)
 駄目ですね、いや、駄目ではない。未来の読書について、[自分にとって未知なもの]は沢山存在して、そして私は生きていれば感動したり感心したり出来るのだ、と。でも私は自分が死期を教えて貰う前にやっておきたい、いつでも今、行動しなけれればならない。


 と云っているひとが5/19から本日までずっと横になって目を瞑って、鬱期だったのですが。
 まあそうか……私という人間はそうなんだ……。


 自分の家の部屋に薔薇が欲しい。いつもいつでも、欲しいと思っています。ちっちゃくて、他人はあんまりどうでもいい、と思うような薔薇を買いたい。ときどき買いにゆけるほどの健康は保ちたい。この記事の読書した本に寄せていうと、その欲しい薔薇は、白い薔薇ではないです。全然寄せてない……。
       



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