少年たちのなかには、世界が内包されている。
──僕たちは(この書評については、私の一人称は「僕」になるのだ)この書籍を一読では理解出来ないだろう。理解、ではない。恐らくそれは「解析」だ。海は理解するものではない。解析するものだろうから。
僕はこの本を一度読んだだけでは、解析、出来ないだろう。ここにあるのは古からの時間……いや、違う、進化……違う、記憶? いや、思いで。(別の本を挙げてしまうのは良くないかも知れないが、想起するのは『思い出エマノン』のエマノンが持っている「思い出」に似ている)
描かれているのは、共にい続けることの出来ないままの、少年たちの交感。
この部分だけでも思い浮かべてみて欲しい。
魚がその胎にH2Oを内包しているとしたら、それはそこに空がひろがっているからだよ。海沙貴のなかにはひろい海がある。柳臣は森を持っている。君はきっと、……空を持っているね。
(引用、一部省略)
少年たちのなかには世界が内包されている。その広過ぎる途方も無さを封じ込めている、それがこの本の尊さだ。
僕がこの本を読むときの形は喩えるなら……。
喩えば古い小壜に海水に晒され続けて読めないような地図が入っていて、海辺に到達したときを僕は連想する。解読出来ない地図を、それでも僕は大切に取っておく。いつか意味が解る日まで、何度も何度も見返してしまう。まだ分からないその詩語を。まだ分からないその組成図を。そしてあるとき、この本の表す教唆に打たれて、僕はそのとき、きっと泣いてしまう。
……でもこんな風に遠回りのような案内をせずとも、本当は、この本はただ、重なりゆく暗喩と少年の示す美しい螺旋に酔う悦楽でもある。
(あまぶんwebカタログへの推薦文・一部改稿 )