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背後にクロチネさんがいる。

吉本ばなな「うたかた/サンクチュアリ」

うたかた/サンクチュアリ (角川文庫)

うたかた/サンクチュアリ (角川文庫)

 中学生くらいのときに読んで以来で、文庫本はとても懐かしい感触がした。初版は福武文庫だが私の持っているものは角川文庫。増子由美さんの装丁が美しい。

 当時読んだ吉本ばなな作品は、大抵のことあとがきに「多くの人に失敗作みたいだと云われる」とか「私が書いたとは思えない」(但し失敗作であってもばななさんはこれも自分だと思うからちょっと愛しい、みたいなことは付け加えてあるのですが)ということが書いてあって、でもその頃次々と吉本ばなな作品を読んでいた私はそんな風には全然思わなかった。「アムリタ」と「N・P」あたりが好きだった。作者はあとがきで「みんなに失敗作だと云われているけれど」と書いていた気がするけれど。

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『うたかた』

嵐とは一回キスしただけだ。(p.6)

 「うたかた」の最初はこの一文。それから、嵐と出逢うまで、出逢ってからのことが語られ始める。これって恋なんだ、こういうのが恋だとしたら凄いなあ、と思った。純粋とか無垢とか、日本語は色々あるけれど、これはピュアな、と云った方が良いと思った。家族の話なども交じってくるけれどそれはただ、ふたりの恋のための装置でしかなくて、ただただ嵐に恋をしている鳥海人魚の想いだけが伝わってくる(ちなみに鳥海人魚なんて名前をしているけれど、彼女は普通の女の子です)。

──さゆり(註)の目を通して出会う嵐は、私の初めて見る嵐で、瞬間私はまた彼に恋をする。失望も欲望も、あらゆる角度から彼をくり返し発見して、くり返し恋をする。そして、こういう恋はもう後戻りできないことを、くり返し知る。(p.53)

  註)さゆりとは人魚の友人

 吉本ばなな初期小説によくある奇妙な家族の装置、ふと起きる超能力、などなど、いつものそれが取っ払ってしまって、ただ恋に向かっての直進だった。複雑な立場の母、野方図気味な父、子どもの頃母親に捨てられた嵐、そういう環境設定よりもずっとずっと、鳥海人魚の恋が強い。

ちょっと見つめ合ってから、どちらともなく近づいて、私たちは一回だけ軽いキスをした。ほんの短い間だった。

 鳥海人魚と嵐と交わしたキスに、打ちのめされた。暫く、ぼうっとしてしまった。こんなキスは私はもう、一生出来ないと思う。そう思うと切なさに似た苦しさに襲われて、私は何かわからない何かのために泣いた。キスなんて私にとってはお友だちにだってしてしまう習慣なのだけれど(なんてアメリカナイーズされている私!)でもこのふたりの交わしたキスはとても大切で神聖といっても良いくらいで、はっきり云ってこのふたりがキスをしたことだけでこの小説は出来上がっているんだと思うくらいに大きな場面で、ただただ打ちのめされた。こんなキスもあって、こんな時期もあって、こんな風に特別に出来るということがもう、自分の身には無くて哀しかった。

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サンクチュアリ

 「サンクチュアリ」は「うたかた」ほど恋の気持ちに直情しない、亡くした人たちへの想いの苦しみやほんの僅かな救済。この形の方が、吉本ばなな作品には多い。印象的なのは登場人物、馨という女性の泣き方だった。馨は子どものように泣く。えーん、えええん、みたいな感じで。わーああ、わあん、とか、しくしく、うう、しくしく、という感じで。主人公の智明が馨を見つけたのも、ホテルから出たところにある海辺だった。馨はとっても一心に泣く。後述によると、彼女の母親は「他の男の子を泣かないように叱っているお母さんがとてもいやで、反発をおぼえてこの子には泣くことだけはおしませなかったの」という。この話は、吉本ばなな(初期吉本ばなな?)によくある、死別した愛する人との痛む思いでがゆっくり撫でられてゆく物語だった。


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 なんでこのタイトルが「うたかた」でそれから「サンクチュアリ」なのだろう、とちょっと思ってしまった。もうちょっとそぐう題名があると思うのだけれど。でもたぶん自分が書き手として立ったときに「うたかた」も「サンクチュアリ」も、題名にしたくなってしまう感の言葉ではあるよね、と身も蓋もないことを思ってしまう私だった。ついでにいうと「アムリタ」のなかの「メランコリア」もそうだ。
 かと云って「不倫と南米」とか「おやじの味」というのも、うーむ、と思ってしまうわけで、題名に関して我が儘を云う読者なのだった。「アルゼンチンババア」とか「体は全部している」とか……うーん、そういう直接な題名の付け方は、変遷してきているのだなあと感じたりする。


 総括(総括だろうか?)として再読したこの本は、中学生だった私の気持ちとは全然違う感じ方に溢れて、苦しい涙が溢れて泣きそうだった。結局それって本の感想ではなくて自分の気持ちの問題ですよね、っていうツッコミを己で感じつつ。



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