--a primitive talk about tangent--
彼は最初は几帳面な性格であるように見える。彼のイラストを最初に目にしたときの均整の取れた線の配置や非常に精巧な感じからして、てっきりそうなのだと思っていた。しかしやがて私は知る。彼のイラストは、ペンタブレットとイラストレータのソフトを使用して描かれていて、私が感じたその几帳面そうだという感じの諸々は、彼の性格と云うよりどちらかというとコンピュータが作り出していたのだった。そうだったからと云って特に落胆や失望させられたわけではないのだが。
PCブースも視聴覚室も図書館の地下1階である。冷房が効いていて、だが大量のコンピュータを稼動させているので、なんとなくぬるい空気の原因はたぶんこれだろう。いまどき熱暴走は、しないだろうが。
ワークショップの授業が行われるのは、視聴覚室だったので、私は昼休みにはもう地下階に降りていて、そして彼が制作をしているのに気付いた。やあ今晩は、と云ってモニタを覗き込む。
「昼だよ」
「いいの、挨拶なんてこういう感じでこんなもの」私は自動的に口から出るへりくつで応対して、画を眺める。
「ふうん……自転車?」
「自転車だよー」
青空から大量の自転車がどんどんと落下している画を、彼は描いていた。くっきりと濃い水色の空(たぶん#99CCFFくらい)に、黒の線だけで描いた自転車を幾つも幾つも配置している。
「どうして自転車が降ってきてるの?」
「これは、僕が昔から何回も描いてきた画なんだよ」彼はそう云った。片手で何かが落ちて来るジェスチャをしながら、彼は云った。「小さい頃から。何度もこの景色を描いているのです」
「へーえ……なんで、」
「よくみるからね」
「へえ……え、みるって何、夢?」
「いや、そうじゃないんだけど……」
変なことを云う子だよな、と私は思ったが、云わなかった。適度な夢みがち傾向のことなんて、どうでもいい。
画については面白いと思った。何度も青空を見上げては黒い自転車の影を幻視していた少年の夢だか夢ではないのかだかの景色が、Power Macのモニタにのって他人に知れるということは、なんとなく通じ合うツールがあるような錯覚をさせて、何だかそのことも含めて良いと思った。自転車の線は精密精巧、メカニカルそのもので、Macの賜物だ。
「車輪、円いね」私はおもむろにそれに注目して云った。
「車輪だから、円いよ」彼はわらった。
確かにそうなのだが、口に出したのは違うことを考えてしまったからだ。
「昔は紙にペンとかで描いていたの?」
座っている彼が私を見上げた。
「最初は鉛筆とかボールペンとかだよ。Macとかは無かったもん」
「コンパスを使っていたの?」
「え?」彼が一瞬、狐につままれたかおをした後、わらった。「フリーハンドで描けたさー」
「こんなに綺麗な円は描けなかったでしょう」
目の前にある彼の画は、幾つもに重なり合う自転車の円い車輪の調和が、殊更に良いと私は感じたので追求してしまった。もしかしたらMacで今初めて描いたようなことに、ちょっと嘘を加えているのではないかと思ってしまったのだ。しかし彼は屈託ない声で応えた。
「描けたよ。僕はちゃんと手でも円く、描けるんですよ。すっごく綺麗な奴を。完璧な円だよ」彼は片手を見えないペンを持っている形にして、空中に円を描く真似をした。そうされても円は空気のなかなので、完全に円いかどうか判りようがない。
「きみはもしかすると、若い頃は手塚治虫だったのかな」
「いや、まだ今も若いし」特に面白くも何ともないのに彼は愉しいらしく、けらけらとわらった。「おない年じゃないの」
「そうだけど」
「じゃあ鹿波さんは昔はどうやって小説書いてたの」
「え、」
「iBook、無かったでしょう」
抱えているiBookのキャリィバッグをちょっと持ち上げて、見直してみると、私も確かに少し可笑しくなって、ふうっと息を出してわらった。
「シャーペンで、ノートに書いてたわよ、ちみちみとね」
「そうだよね」「そうだね」「そうなんだよね、僕たちみたいなのってね」「何それ」「そうなんだよ」
あまり確実な意味もないままに、私たちはふたりで可笑しがってわらった。
「なんか今ってちょっと、未来だよね」
「うん、現代って、未来っぽいかも」
彼はモニタの方から完全に視線を離している。その状態でショートカットキーのコマンドSをさっと叩いた。画は一旦中断なのか(いや、私が邪魔をしたのか)保存されたようだ。
「人間だけが、過去っぽい」「ジーパンとか穿いてるしさ」「足で歩くし」「キーボード叩くのもずうっと指だし」「未だに鉛筆なんかも使っちゃうしねえ」「ね」「ねえ」「ほんとに」「うん」
あ、でも僕はね、と彼は云う。
「僕は、本当にコンパスは使っていなかったんだよ」
「へえ、その点は未来的だったんだね」私はもう、どうこう考える気が無くなっていたので、なんだか適当な相槌を打った。そして茶化した。「未来はコンパス、無いんだね。絶滅するんだね、コンパスは」
「ううん、未来人たちはね」彼はまた違う手の形をした。ボディラングウェジの多い奴だ。その手は、ペンを持っているようで、しかし、ひゅうっと彼は素早く動きでその見えない何かを投げた。そして云った。「未来では、コンパスでダーツをするんだよ」
「なあにそれ」私は話の脈略付けの適当さに苦笑した。ダーツって。「針が付いてるから?」
「そういうことです」彼はなんだか満足げに云った「最後はみんな、ゲームの道具さ」
全然意味がわからないんですけどぉ、と思ったけれど、何か含蓄のあることを云われたような気も少々しないでもなかったので、私は何かを理解したような笑みを浮かべた。彼も何を云っているのかたぶん自身で摑んでいないのだと思うけれど、満足そうにわらった。
「最後はみんなゲームになるの」「そうだよ」「僕らはゲームになっていくんだね」「そうだよ」
目下の現在の我々の会話も、ゲームみたいだな。ああ、そうか。私たち、もうすぐ未来人になるのだな。そう思ったのか理解したのか、1秒後の未来の私たちも、やっぱりかおを見合わせてわらっていた。