Komma usw.

背後にクロチネさんがいる。

「カラフルネイム」

「交錯するねー」
 彼女が云った。何を工作するのか、と僕はかおをあげた。もう4時半だぞ。朝ってやつだぞ。彼女は僕があまり反応しないからか、再度云った。独り言のように。僕が返事をしなくても哀しくならない程度のトーンの独り言専用の声を作って。
「夜更けっていうものはまったくいやはや、思考が交錯して大変ねえ」
 そこで僕はやっと、「工作」ではなく「交錯」という言葉を彼女が口にしているのだと分かった。こう開き直るのも考えものではあるが、僕は物事については不理解な方であるという自覚はある。
 僕は二段ベッドの上に寝そべって、彼女の仕事姿をぼんやりと眺めていた。僕の枕元には車関係の雑誌もあったが、読み終えてしまった。肩に触れるタオルケットが心地よい。部屋は暗く、彼女の作業机のスタンドの電灯と、Macのモニタだけが光を放つ。
 彼女が立ち上がってベッドの方を向き、もぞもぞと動いている。
「あーね、なくしちゃったんだけどたぶんベッドの下なのよ」
 あのね、ではなく彼女の声は「あーね」と聞こえる。
 ベッドの下を探している彼女は、あったあったほらねあったよ、と云いながらそれを得意げに僕の前に突き出した。色鉛筆だった。
「黄色、失くしていたの?」
 彼女は少し気を悪くしたような顔つきで云う。
「黄色じゃなくて、これはレモン色です」
 そして作業机からもう一本の色鉛筆を取ってきて、二本ともが僕の顔の前に突きつけられた。
「よく見てよ。黄色は124の1番でレモン色は124の10番なの。全然違うでしょう」
 僕は目を逸らした。先端恐怖症の気があるのだ、僕には。
「こっちに向けないでよ。先端向けられるの、苦手なんだから」
「はいはいはい、そうでしたね」
 机の方に戻りながら、しかし彼女はまだ不満であるらしかった。僕の方を見ずに云い続けている。
「あなたって、群青色と藍色の違いもわからないよね。朱色と赤色の違いさえも」
 僕は黙った。彼女の発言は事実だ。色の名前など知ったことか、という気分もあり、彼女の世界を流れる色彩の名前をすべて理解して彼女と一緒に眺めたいという小さな希みも一応あった。そうすることは僕が彼女に出来る優しい行為ではないかと思うのだがそんなの偽善的なことかも知れない。僕は黄色とレモン色が見分けられず赤色と朱色を混同する偽善家です、なんて、告白したって宣言したって取り返すことの出来ない落ち度はあるものだ。彼女はきっと僕の分からない色の世界のなかで、僕の知らない色たちをひらひらと自由に戯れている。

   *

 夜が更けゆく。光が動き始める。
 5時も過ぎたのではないだろうか。
 けだるいので窓の外も見たくないが、流石にもうそろそろ本格的に眠い感じになってきた。油断すると上瞼が自由落下だ。どうして僕らは二段ベッドの上と下で眠るなんて選択をしたのだろうと眠いあたまで思い巡らせる。セミダブルベッドだって部屋に入らなかったわけではない。ダブルベッドだって。でもそういうものを買おうという提案はふたりともしなかった。金欠であるとは云っても、でもそういう選択肢を選ぶことは出来たのだったのだが、だけれど。
 後から気付くことは、とっても多いな。

 僕はどうでも良い考えをころころと落としてゆき、ベッドの下の彼女はそれらをいちいち色別に分けて番号を振っていた。「2011.07.21-AM05:03」だとかそういう風に。それは名付けるというより整頓なのだろうが、そんなに整頓なんて作業ばかりしないで良いのに、と僕はこっそり思った。こっそりなのでその考えは下の段には落とさず、違うことを考えてみて誤摩化した。子どもの頃習字教室に通っていたときは、漢字の形が真っ赤に直されて、修正をされたものだった、そうだな。
「あ。また、赤色と朱色を」
 彼女が振り返り、僕を見上げて唇を曲げて咎めた。そういうときのきみってさ、アヒル口になるんだよ。知ってる?
 アヒル口のまま、彼女は解説をした。
「習字の添削をするのは、朱色で、赤とは違うの」
「はい先生、はい先生すみません」
「朱肉もね、赤色じゃないでしょう? そういうことよ」
 たぶん僕の知見(特に色の名前に関する)が添削されるとしたら朱色まみれなのだろうなと思いながら、もう本当に眠ろうと思った。彼女はまだ作業をするようだ。僕も一応、色々知ってはいるんだよ、と胸のなかで思う。シアン、ヴィリジャン、コーラル、ペパーミントだとか……。
 彼女はそう云えば、石を身に着けていないな、と眠気に身を任せながら思った。装身具というか……気軽に買える何かを贈りたいな、と思った。素っ気なく銀の小さな輪しか引っかかっていない、あの右耳に着けてくれたら僕も嬉しいだろう。
「ねえ……もう寝るよ」
「うん、いいよ。おやすみ」
「あのさ……。今度、安い、安いやつね、それで良かったら、アクセサリ買ってあげるよ」
「へえ、どおしたのお」
 彼女はデスクに向かったまま、言葉だけは大袈裟に驚いた。どおしたのお。
「何色の石がいい?」
「あっえっ宝石なのっ!? すごい、やったね! やりましたねー」
 彼女が躰を揺らす背中の動きで、喜んでいるだろうと思った。
「何色の石がいい? たぶんちっちゃいのしか買えないけれど」
 彼女はきちんと振り返ってこちらを身を向けた。とても嬉しそうなかおをしていた。頬が少し染まって照れているような感じ、ちょっと目が潤んでいるのじゃないかとまで見えたのは、それは思い込み過ぎか。
「わたし1月生まれだから……アルマンディン・ガーネット。ちっちゃいのでいいよ、すっごくちっちゃいのがいい。嬉しいな。ピアスに出来るかな」
 アルマンディン・ガーネット。
 予想通りその石の色が僕には摑めなかったが、絶対に忘れないようでいよう、自分に厳格に忘れずにいようと思った。小さなピアスの購入よりも、二段ベッドからダブルベッドへの移行についての方が少々議題にすべき要事なのではないかとも少し思ったが、彼女はまた作業机に向かい色鉛筆や何種類もの鉛筆や、ロットリングを走らせて仕事の続きを始めた。きみは聡明だね。アルマンディン・ガーネット、と枕元の携帯電話のメモ機能を開いて打ち込み、僕は眠った。



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