滋養、というものが好きだった。滋味。食事というものは恐ろしい。彼女は体重の増加を恐れており、また栄養という概念も怖かった。栄養なのだから食べなさい、と云って引っ叩く手はもうここには無い。それでも。
愛情は出来ないと思った。愛情は恐ろしいし、自分にはきっと出来ない。
滋味。
それは、慈しみという語を示唆するような気がした。
きのこを幾つも鍋に入れ、とくとくと煮込む。塩と胡椒。オレガノ、そしてソーセージ。だしが出る。だしとは旨味だ。
もしも旨み成分というものが美味しさというものなら、何故ひとは旨み成分を、旨み成分のみをふんだんに使って料理をしないのだろう? 旨いというのは、美味しいということなのだろう? グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸。空腹で堪らないのに食卓から逃亡していた少女だった頃、彼女は夜更けのキッチンで、アミノ酸調味料を嘗めながら泣いた。
もう、いいの。
大丈夫になれる筈だから。彼女もあなたも私も、きっと。
鍋はくっくと湯気を上げ、彼女はもうすぐ食卓につく。
大体444文字で、「スープ」をお題に創作を投稿しよう。
#444書 は投稿をお待ちしています。
また土曜日がやってきた。
金曜にワインをのんで、よく眠った私は、土曜の后後、掃除を始める。私は自分の部屋が好きだ。自分で設えたものたちが好きだ。
キッチンを磨く。ガスコンロ、シンク。洗濯したマルチクロスとベッドカヴァとシーツは既に物干し竿にはためき、掃除機を使ったあと、床には薄荷油を吹く。この部屋には、虫一匹出ることは無い。今までも、これからも。
身軽に動いて総て終えると、ベッドに寝転んで、安堵の息を吐いた。精油を焚こう。大切な私の部屋。
台所。
ベッド。
ユニットバス。
行き届いた部屋、というものが私は好きだ。この部屋の隅々まで届く私の考え。隅々まで拡がりゆく私の部屋のなかの私という現象。
小雨の後、夕方に差し掛かる頃、虹。