尼崎文学だらけ、ありがとうございました。
さて置き(<さて置いちゃうんだ!)その前の数日に読んでいた本。
Kindle書籍で購入して読みました。どちらも書林国栖さんから発行。
椿落ちて色うしなひぬたちどころ
乞食のめをとあがるや花の山
落栗やなにかと言へばすぐ谺
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もう1冊。
こちらは小説から俳句へ方向転換した牟礼鯨(現・むれくぢら)『彼氏できたと君の対面座位ぬくし』
購入したことをtwitterに投稿したら、私のアカウントで《対面座位》などと表示されているのが何度かRTされて、つらい思いをしました。私わりと奥床しいので。
椿落つ初めて春を鬻ぐ路地
兎に角椿は落ちるらしい(芝不器男句集と較べてしまう)椿の落下と、初めて春を鬻ぐ、の呼応。
穴という穴から春の水あふれ
夜桜のトレモロかなし尼崎
穴という穴という表現を何故かえろい、と感じる私の心とは。もう一句はこちらの地元尼崎でしたので引きました。
凌霄 の花やホースと津田詩織
むれくぢら氏と泉由良の共通点は、津田詩織を尊く思っているところ。津田詩織がホースの水を頭から浴びる場面の花は凌霄花(ノウゼンカズラ)なのか、と花の名前に詳しいひとが句を作るのだなあと思う次第。私は花は覚えますがその名前はあまり覚えません。
津田詩織(援助交際をさせられているという設定の少女)もそうなのですが、「初めて春を鬻ぐ」「紗倉まな一人と決めて」という辺りに、「春を鬻ぐ」ことへの女性的感覚からの抉られも、春を買う男性的慾も表れていない感覚を持つ点が、好みだなあと思いました。それからポップ。「虚子先生ごめんなさい」というキャッチフレーズが付いていますが、虚子先生のことは知らないので楽しく鑑賞しました。対面座位やら避妊具やら紗倉まなやらという単語を使うと、虚子先生は叱ってくるのでしょうか。三倉茉奈と混同して検索したみたことは秘密。
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元々句集や歌集を読むのが苦手で、それはどれくらいひとつの句(短歌)を味わっていれば良いのか果てしなく、頁を捲るタイミングが判らなくなってしまう、挙句全部手帖に書き出してみたりするのですが、それはなかなかの労力なのです。この点、電子書籍で読むと、気になったらすぐにハイライトしてさくさくと頁をタップ、のちほど読み返す(そしてこのblogのように引用する)という行為で読書が出来て、句集・歌集の電子書籍ってなかなか、私には向いていると思います。もっと発行されたら良いな。特に、現代の新鋭歌人の歌集など読みたいです。
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「夏の果てという単語は大森靖子から引用したんですか?」と、以前俳人に尋ねたら、「大森靖子が引用したんだよ」とのこと。たぶん嘘でしょう。大森靖子がむれくぢらから引用したというのは嘘でしょうが、果てというものはいつ聞いても切実に詩的な想起をさせます。ましてそれが夏の果てなら。
私は老婆でおっさんは子供そうだったのかもしれないね
私は何も思い出さずに目の前の恋をする一年振りの夏なのに君の裸を眺める夢をみて
冷凍庫に転がる頭にKissして涼しい昼下がり
大森靖子も、犯される少女でありながら犯すしかない性である《おっさん》を何処かで「子供」だと(それは慈しみ?)いう視線はいつも一貫しているようで、そして私も夏の果てまでいきたいです。